2018年03月03日

大切に思う人たちが暮らす街だから、その街を愛することができる。

大切に思う人たちが暮らす街だから、その街を愛することができる。

私は小学校を3回、中学校を2回変わりました。工場の技師をやっていた父は転勤が多く、そのたびに学校を変わっていました。入学したのは埼玉県上尾市の小学校、そして桶川市の小学校に転校、その後、岩手県遠野市の小学校に転校。卒業と同時に青森県八戸市に引っ越し八戸市の中学校に入学、そして埼玉県北本市の東中学校に転校し卒業しました。その後、埼玉県立浦和高校に入学。浦高では転校せずにすみ、そのまま卒業することができました。

子どもの頃から多くの出会いと別れを経験。だからこそ、人を大切にしたい、人が幸せになれることに力を尽くしたいと思うようになったのかもしれません。

東京大学を卒業した後、住んでいた北本市で塾を開いて子供たちの指導にあたったのは、自分が得意な分野で子供たちの可能性を広げたかったから。その後、北本市議会議員になったのは、この子供たちのいる街をいい街にしたかったからです。

北本市は面積は戸田市とあまり変わりませんが、人口は戸田市の約半分。そして人口が減少する街、特に女性が少なくなっていく街でした。なんとか、そんな北本市を立て直したい、そんな想いで市長になりましたが、目の前にあったのは難題ばかりでした。それでも必至に行財政改革に取り組み、その一方で関東グリコ(グリコピア・イースト)の誘致なども実現。行財政改革を好ましく思わない人たちからは反感を買い、今なお続くさまざまな嫌がらせを受けましたが、これまでご縁をいただいた市民の方々、教え子たち、そして妻や子どもたちを愛する気持ちが私の支えとなりました。

3期12年間続けた北本市長を退任した後、戸田市に移る決意をしたのは、戸田市を大切に思う神保市長の戸田市を愛する気持ちに感動したからです。埼玉県内でひそかに目標に思っていた戸田市の神保市長から、戸田市をさらにいい街にするために副市長として助力をもらえないだろうかとお声掛けいただきました。大切に思う人たちが暮らす街をいい街にしたいと思ってやってきた私の気持ちと同じ、いや、それ以上に戸田市のことを思う神保市長の気持ちを感じ、私は決断しました。

家族そろって引っ越してきた戸田市。かつての私と同じように、息子達にも転校の経験をさせてしまいました。でも大きくなった時にわかってもらえると信じています。

大切に思う人たちが暮らす街だから、その街を愛することができるようになる。

戸田市生まれ戸田市育ちの人と、戸田市を選んでやってきた人がつくるこれからの戸田市。力が合わさり素晴らしい戸田市に繋がっていく仕組みづくりに取り組みます!

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posted by 石津けんじ at 01:18| Comment(0) | 戸田市長選挙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする