「戸田市の副市長として力を貸してもらえないだろうか」。2年前、神保市長は、12年間務めた北本市長を退任した私に声を掛けてくださいました。「どうして私なんですか?」との私の問いに「北本市長としての石津さんの発言や実行力に注目していました」と神保市長。埼玉県内の市長が集う埼玉県市長会で私のことをずっとみてくださっていたのでした。北本市長時代の私は神保市長の戸田市を密かにライバルと思っていましたので、お声を掛けてくださったのをとても光栄なことと思いました。
その後、家族を伴って北本市を離れることを決めました。妻や息子たちにとっては生まれ育った北本市です。でも、せっかく誘ってださった市長のお気持ちとそれ以上に戸田市を「いいまちにしたい!」と願う神保市長の熱い思いに心を打たれ、残りの政治生命を戸田市のために使おうと決意してのことでした。
新居は戸田市南町の集合住宅。息子達も戸田市内の公立小学校に転校し、戸田市での新生活が始まりました。うちはずっと共働き。妻は埼京線に乗って都内の仕事先に通い、私は子供たちの世話をしながら戸田市副市長としての職務に就くという毎日が始まりました。
神保市長が今季限りで退任される意を固められたのを知ったのは昨年です。副市長として神保市長に行った提言の数々や職務にあたる姿をずっと見てくださっていた神保市長は、ある日、退任の決意とこの戸田市をさらにいいまちにするための後任として私を指名したい思っているというお気持ちを話してくださいました。
戸田市の裏方・副市長として実務にあたる日々が、それから大きく変わりました。
(続く)
本日の駅立ちご挨拶は戸田公園駅西口でした。明日も戸田公園駅に立ちます。